直腸とS字結腸にポリープが!「これはでかい。見るからに悪性だ!」どこを手術したのかわからないくらい跡形もなく消えた病名 大腸ガン福岡県福岡市在住 K.S.さん(57才)●つらい手術の後、大腸ガンが!私の周りはガンで亡くなった者が多い家系です。とうとう私もこの病気に襲われましたが、今何とかそれを克服しようとしています。最終的な検査の結果は五ヵ月後で、現在は『途中経過』といったところですが、何か参考になることがあれば幸いです。 病院嫌いの私が夜救急車で担ぎ込まれたのは、去年の五月十四日でした。そのときは軽い脳梗塞の発作で、自分で運転して行きますと言い張ったくらいでした。しかし症状は思ったより重く、六月の初めに六時間以上に及ぶ大手術を受けることになりました。場所が場所ですから、手術を受けるのにもかなり抵抗がありました。幸い手術は成功し、夏には一時退院し無理をしない程度に仕事も始めました。そして検査その他のために再入院して、十月に完全に退院できることが決まりました。私自身はやっと病院を出られるとほっとしていたのですが、そのときに大腸ガンが見つかったのです。これといって大した病気もせずにいましたが、数年前から便に血が混じることがしばしばありました。時には便器が真っ赤に染まるようなこともありました。それでも痛みもなければ腫れ物があるわけでもないので、いくら妻が心配しても相手にしませんでした。 ●「これはでかい!見るからに悪性だ!」しかしこんな大病を経てて私もさすがに考えるところがあり、妻に勧められるままにやっと検査を受ける気になったのです。それが九月二十九日、内視鏡による検査で大腸にポリープが五つも見つかりました。十月六日ポリープ摘出。 医者が肛門から内視鏡をいれてモニターを見ながら慎重にポリープを切り取って行きました。すぐに済む簡単な手術のようですが、腸の内膜にはたくさんの小さい血管があるので出血しないよう神経を使うそうです。摘出の最中、「これはでかい!見るからに悪性だな」というのが聞こえました。 検査の結果、五つのうち二つがガンでした。今の医師は、はっきりその場で「ガンだ」という方が多いようですね。私自身は思いもよらないことで口もきけませんでした。病室に戻りずっと黙っていました。両親はガンでした。叔父や伯母たちもみんなそうです。この病気にかかりやすい家系があるとすればそれが私の場合で、いやでもそれが頭に浮かんで来てとても救いのない気持ちでした。アガリクス茸は以前から時々飲んでいましたがこのときからです、本腰を入れて飲み始めたのは。 一日三回欠かさず飲みました。ポリープを取った医者は、三ヵ月後に切った所を診ましょうといいました。その跡がうまく治癒していないゥったり、切った所が傷になってまたポリープができているようなら、そのときはいよいよ腹部を切って手術をするといわれました。 ●「どこを切ったのか、わからないくらい」ガンができやすい体質ならば、そんなに長い間悠長に待ってはいられません。私は三ヵ月も待てないので二ヵ月後に診てくださいと頼みました。 手術からほぼ二ヵ月経った十二月三日、執刀医に診てもらいました。 「この間のところは跡形もないですよ。どこを切ったかわからんくらいです。手術の必要なし」。 ところが、喜びも束の間、S字結腸の部分にまた新たにポリープがみつかったのです。この部分は入りくんでいるのでポリープなどもできやすいが、発見しにくく切除も難しい厄介な場所だそうです。ポリープ二つのうち一つが悪性で、しかも四期に近いといわれました。すぐに除去してもらいました。 喜んだり落ち込んだり家族も巻き込んで大変な騒ぎでしたが、そんな中でも得るものはありました。一回目の手術後五つもの切除の跡がどれもきれいさっぱり治っていて、医師に太鼓判を押してもらったことは、単に嬉しいという以上のことでした。あの時の一瞬の喜びは確実に今の生活につながっています。素人考えながら、あの手術の後アガリクス茸を飲んでいなかったら、こんないい結果は出なかったと思います。はっきりこうだとは言えないのですが、あの茸がお腹の傷跡を治してくれたような気がするのです。今も一日三回アガリクス茸を飲んで快適な毎日です。六月の検診を心待ちにしながらぼちぼち仕事にも復帰しました。 またよい報告ができるのではないかとそれが楽しみです。 平成11年1月出所: http://www.csf.ne.jp |