腸を1.5メートル切る手術!腸の癒着がひどい!息子が驚いた!「癌でよろよろしていた母さんがアガリクスを飲み始めて1週間したら起き上がって掃除を始めた!」病名 直腸ガン福岡県糟屋郡 H.K.さん(72才) |
●「オペだ!」6回に及ぶ手術!私の病歴は長くて、昭和四十六年までさかのぼります。それまで病気知らずでした。体格もいい方だし風邪を引いてもすぐに治るという具合で、三人の子供をもうけ、朝から晩までそれこそしゃかりきになって働きました。 昭和四十六年七月、子宮ガンで入院しました。四十三才の時です。手術が終わってから、コバルト治療が始まりました。四十八回おなかの周りにコバルトを当てました。その後遺症でおなかが黒ずんで、胃の調子もおかしくなりました。二カ月入院して明日が退院だという日、夕方からお腹が痛み出しました。痛みは段々はげしくなりました。もう死ぬかと思うくらい、一晩中苦しみました。夜中のうちに別室に移されました。翌朝、外科の先生が診察して、「オペだ!」と叫んで、私はそのまま手術室に運ばれ、腸を一・五メートル切られました。それからは、何度となく腸が癒着して激しい腹痛にみまわれ、そのたびに手術を受けました。六回切ってやっと退院したのは大晦日の頃でした。 ●病気がちの毎日・・・「姉さんは福岡中、知らない病院は無いね」退院してからも体調は決してよくありませんでした。十年間検診に通い続けました。仕事も五十五才の定年まで辞めるわけにはいきませんでしたし、同居している孫の世話もあったのですが、とにかく疲れやすくて。そして、よく両足のもものところに血の塊が幾つもできて高い熱が出ました。血の塊が引くまで、熱が下がるまで病院に入院して、一カ月は家に帰られませんでした。 ちょっと無理をすると、血尿も出ました。私の場合出血がひどかったので、すぐに泌尿器科の病院に行って輸血を受け、三十日から四十日、出血が治まるまで入院しなければなりませんでした。ベッドの上では、上からも下からも管を通され身動き出来ない状態でした。膀胱を洗浄しながら、タンクのような大きな点滴を受け続けました。家のことは気になるし、身体は動かない、六人部屋で気を遣わなければならなかったあの入院は、ほんと辛かったです。血尿は最後は自然になくなっていくのを待つような感じでした。こんな風でしたから、兄弟達からは、「姉さんは福岡中、知らない病院はないね」といってからかわれていました。 ●「これは癌です」手術をすれば、即ベッドの上の生活に昭和五十九年十二月、胃が重たくなって近くの大学病院へ行きました。ガンのようだから検査入院するように、といわれました。がっくり来ました。検査の結果は胃潰瘍ということでした。胃の内側が破れやすくなっていて出血すると大変危険な状態だが、手術は出来ないといわれました。三週間の検査の後退院しました。 それからも入退院を繰り返しながら日を送っていました。そして、今からちょうど二年前の平成十年二月のことです。それまでも、腸を切ってからずっと便秘で、三十年近く下剤を飲んでいましたが、どうも便の出がおかしいと気づきました。近所の掛かり付けの病院で診てもらうと、先生は詳しいことは何もおっしゃらずにすぐに大きな病院へ行くように言われました。紹介状を持ってその病院で行きますと、先生は触診をした途端、「これはガンです」と言われました。レントゲンを撮ってくるようにいわれて廊下に出ましたが、頭がふらふらして、先生が何を言われたか、「ガン」ということ以外何もわかりませんでした。レントゲンを持っていって、また先生の話を聞くのが怖くてたまりませんでした。すると、その時ばったり息子の嫁にでくわしました。彼女も具合が悪くて病院に来ていたのにすまなかったのですが、事情を話すと一緒についてきて先生の話を聞いてくれました。診察の結果は直腸ガンでした。 この病院に検査入院をし、ついでに何もかも診てもらうことになりました。直腸ガンなら、レーザーで簡単に切ることができるのでは、と軽く考えていましたが先生の意見は違いました。 「腸の癒着がひどく、あなたの場合は腸の上から順に切っていき、最後に直腸を切ることになる。膀胱も取らないかん。そうすれば即ベッドの上の生活になりますよ。どうするかはあなたが決めること。家族の意見もあるだろうが、自分で決めて下さい。ただ、私だったら切らない」私も手術はこりごりでした。手術は断り、三週間の検査入院で退院し、掛かり付けの先生から薬をもらいながら通院治療を受けることになりました。 ところが、退院してから、身体の力が抜けたようになりました。ものすごくだるくて力が入らない、きつくてきつくて家事もできません。とうとう掛かり付けの先生の所へ行って、泣きながら「どうにか助けて下さい」と頼みました。一週間ほど入院させてもらうことになりました。翌日がちょうど孫の誕生日だったので、一時外出して夕方病院へ戻るとき、タクシーを呼ぶのもなんだと思って歩いて帰りました。それくらいのことだったのですが、私には無理だったのでしょうか。その晩からまた血尿が出始めました。もうその時は、遠くの泌尿器科の病院まで行く気力は残っていませんでした。先生にお話ししてそのまま入院を続けて、そこで治療を受けました。このとき息子の嫁がアガリクス茸を持ってきてくれました。 ●胸のあたりにグーッと力がそれまでにもアガリクス茸のことはよく耳にしていました。人に勧められても高価なものだからとあきらめていました。息子が、俺が買ってやるから飲んでみてくれ、といってくれまして、嫁が持ってきてくれたんです。これを初めて飲んだときのことは今でも忘れません。飲んだ途端、グーっと胸のあたりに力が入ってきました。びっくりしました。「何かこの辺に力が湧いてきたよ」と嫁に言ったのを覚えています。私はこれだけは離されんと思いましたよ。それからも、先生には隠れてアガリクス茸を飲み続けました。血尿も次第に減っていき退院しました。あれから2年になりますが、それ以来、血尿はぴたっと止まりました。息子は、「ガンでよろよろしていた母さんが、アガリクス茸を飲み始めて一週間したら、起きあがって掃除をはじめた」と人に話しているようです。 このごろは、会う人ごとによく顔色がいいといわれます。確かに、熱が出たり、血尿に悩まされることはなくなりました。掛かり付けの先生のお話では、直腸ガンも大きくなっていないからわざわざ検査を受けなくてもいいといわれて、丸二年検査を受けていません。 家事は無理をしない程度に、休み休みやっています。一度同郷の知人で、やはりアガリクス茸を飲んでいらっしゃる方にお電話したことがあります。奥さんが出られて、「主人はこれを飲んで元気にやっていますよ。あなたもアガリクスを飲んで、気張りやっせ」と励まして頂きました。もうアガリクス茸だけは一生飲み続けようと思っています。 |
出所: http://www.csf.ne.jp